時代・人・くらし。エピソードで織りなす、
『SUMINOE』緞通ものがたり。
創業から140年、法人化から110年。時代の風を先取する企業マインドを経糸に、人々のくらしの豊かさへの提案を緯糸に、国・社会・くらしの多彩な局面で、つねに「快適な空間と彩りのある暮らし」を提供してきたSUMINOEの歩み。さまざまなチャレンジ、さまざまなイノベーション、そしてさまざまな苦難をもポジティブに乗り越えてきた当社の歴史は、まさに時代と人が織りなしてきたオンリーワンのカーペット(緞通)のようなもの。豊かさを織りなす企業だから紡ぎだせたSUMINOEの歴史をご紹介します。
第1幕創業~日本の近代化へ貢献
絨毯に未来を夢見た米商人と
世界が相手の商いをめざす呉服商の出会いから
『SUMINOE』の歴史が始まった。
SUMINOEの元祖は、米穀商であった村田伝七が1883年(明治16年)に大阪府東成郡住吉村(現在の大阪市住吉区)に開いた村田工場。
サイドビジネスとして始められたこの手織りのささやかな家内工場が、ほどなく帝国議会議事堂をはじめとし、鉄道、船舶の装飾を受注し、日本の敷物業界の夜明けをひらきました。それは、老舗の呉服商から発展し、貿易を通して広く世界のニーズに対応し、インテリア織物のサプライにも積極的だった髙島屋との出会いが生んだ固い絆の結果でした。
誠実で頑固、人一倍研究熱心だった創業者
誠実で頑固、人一倍研究熱心だった創業者
村田伝七は、1848年(嘉永元年)、大阪府東成郡沢の町に村田伝兵衛の七男として誕生。成人して「米伝」という屋号で米穀商を営んでいました。そのころ堺緞通と呼ばれた手織りの敷物が、対米輸出品として、堺から大阪住吉方面にかけて副業として盛んに行われていました。
こうした状況に刺激された村田伝七は、1883年(明治16年)に緞通機3台を購入、米穀商を営むかたわら緞通づくりを開始しました。それが当社の出発点となった村田工場でした。誠実な人柄で人情に厚く、良質なものづくりに頑固なまでにこだわり、研究熱心だった村田伝七は、めきめきと技術的な進歩をとげ、やがて米穀商を廃業して緞通づくりに専念するようになりました。
緞通とは?
経糸にパイル糸を結びつけて作った床敷物の総称で、伝統的な手織り敷物です。基布の地経糸にパイル糸を手で結びつけ、これをカットして毛房を作成。産地によって、パイル糸の結び方が異なり、中国緞通、ペルシア緞通、トルコ緞通などに区別されます。技術的に製織は熟練を要し、長期の日数を費やすため高価で、美術工芸品として扱われることが多い高級敷物です。
明治の名だたる建物にカーペットを納入。
近代国家日本のイメージづくりに貢献。
帝国議会議事堂にカーペット納入
帝国議会議事堂にカーペット納入
村田工場のハイレベルな技術に着目していた髙島屋は、明治政府より用命を受けた帝国議会議事堂のカーペットの製造を村田伝七に発注。1891年(明治24年)、村田工場は日比谷に建設された旧議事堂開設時にカーペット納入という大事業を果たしました。1936年(昭和11年)に竣工した現在の国会議事堂の内装織物も受注し、「赤い絨毯」や本会議場の椅子張地などを納入しました。
当社初の「知的財産」
当社初の「知的財産」
研究心旺盛な村田伝七は、1890年(明治23年)、ウィルトンカーペットを模して、わが国ではじめて絨毯をつくり、1892年(明治25年)に特許を取得。倭織(やまとおり)と命名されました。
ウィルトン織りとは?
18世紀中期、イギリスのウィルトン市で初めて作られた機械織り。19世紀には、ジャカード(紋紙)を用いて、2~5色のパイル糸を使い、多種多様なデザインが可能に。しっかりとした高級感あふれる仕立ての織りです。
モケットの心地よさと、特色あるデザインで、
市民の“足”をより楽しく演出。
日本初の国産シート地が国鉄で採用
日本初の国産シート地が国鉄で採用
1870年(明治3年)に政府は、鉄道事業を開始。当時の客室の座席は、上・中・下と区別され、上等車と中等車には、輸入モケットが使用されていました。その後、「国産品を」との用命が髙島屋にくだり、製作を当社が受注。1896年(明治29年)、シート地として日本で初めて手織りによるワナモケットの製作に成功し、1899年(明治32年)、国鉄のシート地に採用されました。
住吉工場建設
住吉工場建設
社会のインフラづくりにつらなるビッグな案件を次々にこなしてきた村田伝七は、1903年(明治36年)、後の大阪市住吉区に土地を求め、さらなる発展に備えました。当社の主力工場として長年活躍した住吉工場のスタートであり、日本のインテリア産業の
路面電車のシート地のモケットに「市章」をデザイン
路面電車のシート地のモケットに「市章」をデザイン
1895年(明治28年)、京都に走り始めた路面電車は、市民の足として各地に広がりました。当社は、1905(明治38)年、大阪市電のシート地のモケットに市章である澪(みお)つくしをデザイン。その後、市章や社章を入れたモケットが全国的なブームとなりました。
モケットとは?
フランスで考案された手織り物で、パイルを密に短く直立させた表面が特徴。肌触りがなめらかで、耐久性にすぐれた織物です。現在でもバスや鉄道車両のシート地に多く使われています。
明治時代(沿革略年表)
- 1883(明治16年)
- 創業者村田伝七が大阪住吉で手織り緞通の製作を始める
- 1891(明治24年)
- 帝国議会議事堂(現 国会議事堂)にカーペットを納入
- 1899(明治32年)
- 日本初の国産シート地が国鉄で採用
- 1903(明治36年)
- 本格的な製織設備をもった住吉工場を建設
大正モダンに華を添えつつ、文化・芸術のステージへ。
生活水準の向上と洋風化にともなって、インテリア織物が時代のトレンドの一つになった大正時代。村田工場は活況を呈し、最大の顧客であった国鉄からのオファーの拡大にともない、それまでの手織機から近代的な力織機への移行の機運が高まってきました。
住江織物合資会社の創立
住江織物合資会社の創立
新しい時代に対応するため、個人事業から法人化への機運が高まり、1913年(大正2年)、村田家と髙島屋飯田家の共同出資による「住江織物合資会社」が誕生。法人としての住江織物の百年の歴史の第一歩が印されました。初代社長には村田伝七が選出され、支配人には後に第2代社長となる益子勇雄が就任しました。
社名“住江織物”の由来
合資会社の社名「
岸による波よるさへや
夢の通ひ路 人めよくらむで歌われた「すみの江」にほど近かったことにちなんでいます。「すみの江」は古来、
ドイツ、イギリスから技術と力織機導入
ドイツ、イギリスから技術と力織機導入
1913年(大正2年)、ドイツ・イギリスから技術と力織機を導入し、日本で初めて機械織モケットの製造に着手し、国鉄1等車、私鉄のシート地に採用されました。1916年(大正5年)には、力織機によるカーペットの製造も開始しました。
帝国劇場に椅子張地を納入
帝国劇場に椅子張地を納入
1915年(大正4年)、帝国劇場に椅子張地を納入。1966年(昭和41年)の大改装でも、当社の椅子張地が採用されています。「帝劇」の愛称で広く親しまれているエンターテイメントの殿堂で、シートの手触りや座り心地の良さが、舞台の感動を支えてきました。
宝塚大劇場に椅子張地とカーペットを納入
宝塚大劇場に椅子張地とカーペットを納入
兵庫県宝塚市栄町で1924年(大正13年)に誕生した宝塚大劇場の座席数は3500余り。現在にいたるまで、当社が椅子張地とカーペットの納入を続けています。タカラジェンヌに憧れ、ヅカファンたちが座ったシートには、舞台のスターたちの栄光の歴史を見守り、支えてきた住江織物のメモリーも織り込まれています。
大正時代(沿革略年表)
- 1913(大正2年)
- 住江織物合資会社を設立
ドイツ・イギリスから技術と力織機を導入し、日本で初めて機械織モケットの製造を始める
- 1916(大正5年)
- 力織機によるカーペットの製造を始める
テレンプを製造し、国鉄1等車、私鉄の椅子張地に採用される
- 1925(大正14年)
- 皇太子旗謹製
自動車産業の夜明けに参画し、戦争の苦難を乗り越えて再生。
情報と交通のネットワークが世界中を結び始めた昭和の初期。来るべき大量生産、大量消費の時代へ向けて、当社は時代の風を帆に受けながら、苦難の戦争を乗り越え、再生と発展を印しました。
旅客船の一等室にカーペットを納入
旅客船の一等室にカーペットを納入
すべての海外旅行には客船が利用された1920年代。映画「タイタニック」でもおなじみの豪華客船も世界の海を就航していました。当社は、大阪商船(現 株式会社商船三井)の一等室へカーペットを納入。昭和になって、多くの人々が南米に移民や旅行で乗船したぶらじる丸、あるぜんちな丸、ぶえのすあいれす丸をはじめ、当時の日本の有名船のほとんどには当社の製品が採用。客船の装飾は流行の最先端として、一般の室内装飾にも影響を与えました。
自動車産業の黎明期に参画
自動車産業の黎明期に参画
1931年(昭和6年)、米国のフォード、ゼネラルモーターズ社が日本で組み立て生産をしていた自動車に、住江織物はカーペットとシート地を納入。自動車産業の黎明期に当社は参画しました。その伝統を生かし、1958年(昭和33年)、トヨタ自動車工業(現トヨタ自動車株式会社)にナイロン製シート地を納入したのを皮切りに、国内自動車メーカーから次々に採用。自動車産業とのジョイントは現在も事業の大きな柱の一つになっています。
進駐軍からの特需
進駐軍からの特需
第二次世界大戦の敗戦により、織機はホコリにまみれ、仮死状態にあったカーペット業界。1946年(昭和21年)、進駐軍から当社に告げられた、米兵の兵営・宿舎・家族住宅のための大量の調達命令がその再生のきっかけとなりました。かつてないボリュームの絨毯、モケットの需要が生まれ、昼夜兼行で強行生産に突入。発注があまりにも大量であったので、当社だけでは対応できず、当社の呼びかけにより全業界をあげて受注に応えました。納期をめぐる米軍将校との対立など、苦渋に満ちたエピソードも残されていますが、この特需がカーペット業界の戦後復興への希望をもたらしました。
昭和元年〜昭和20年代(沿革略年表)
- 1930(昭和5年)
- 住江織物株式会社を設立
- 1937(昭和12年)
- 河内工場を新設、紡毛糸紡績を始める
- 1943(昭和18年)
- 京都工場を新設、ドレープの生産を始める
- 1947(昭和22年)
- 網野工場(現 丹後テクスタイル株式会社)を新設、緞帳と緞通の生産工場とする
- 1949(昭和24年)
- 東京、大阪、京都証券取引所に株式を上場
第2幕インテリアを一般家庭に
目覚ましい経済復興の風に乗り、カーペットは生活者の必需品へ。
戦争による荒廃から立ち上がった日本は、ハングリー精神と勤勉さ、そして果敢な工業的革新により、世界中が驚くような猛スピードの復興をとげ、昭和30年代には高度経済成長に突入。その後、東京オリンピック、万国博覧会といった国をあげてのビッグ・イベントを成功させ、国民の所得も増加。一億総中産階級時代という言葉も広まりました。生活の洋風化もさらに進み、カーペットは高級品から生活必需品へとシフトし、SUMINOEの企業活動も大きく変貌しました。
タフティングカーペット機導入
タフティングカーペット機導入
1954年(昭和29年)、当社は日本で初めて大量生産型タフティングカーペットマシンをアメリカから導入しました。この機械で織られた量産型の敷物を総称して、「タフテッドカーペット」と呼びます。
タフテッドカーペットとは?
米国で開発された大量生産を可能にした織り方で、1950年代以降に飛躍的に発展。織り上げていくのではなく、既にある基布に多数のミシン針でパイルを植え付ける刺繍方式です。生産速度はウィルトンの約30倍。無地が主流でしたが、近年コンピュータの導入で、色柄に変化をもたせたタフテッドが大半となりました。
住吉工場行幸啓
住吉工場行幸啓
1956年(昭和31年)の秋、兵庫県で行われた第11回国民体育大会にご臨場の後、昭和天皇皇后両陛下が住江織物住吉工場をご訪問されました。第3代社長飯田紀造が先導し、両陛下は織布工場、製品陳列室、仕上工場、タフティング工場をご覧になりました。
「タフトン」カーペットを発売
「タフトン」カーペットを発売
1957年(昭和32年)、新しいじゅうたん「タフトン」を発売。「平均的な係長級のサラリーマンがボーナスで買えるカーペット」をコンセプトに、小売価格を4畳半1枚で9,900円に設定(当時値)。従来オーダーメイドであったカーペットの生産が、レディメイドに変わる転機となりました。
この発売にともなった当時の広告はブームに。和風から西洋文化へ、ライフスタイルを一変する画期的な挑戦だと話題になり、それまで高級品であったカーペットが一般家庭にまたたく間に普及したのです。
0系新幹線にシート地を納入
0系新幹線にシート地を納入
日本初の鉄道車両用のシート地を手掛けた功績により、国鉄で採用され、それ以降、国鉄はもとより私鉄にいたるまで一世紀以上にわたり、当社は鉄道車両内装材のトップシェアを誇っています。国鉄時代の1964年(昭和39年)には、東海道新幹線の開業と同時に、“夢の超特急”と謳われた0系新幹線のグリーン車・普通車にシート地を納入しました。
住江織物が自動車を製造!?
あまり知られていないことですが、来るべきモータリゼーションの時代を先取りするため、1955年(昭和30年)、当社は2シーターのオープンカーを製造販売しました。その名も「フライング・フェザー」。「最大の仕事を最小の消費で」を目標に小型化・軽量化に取り組んだミニカーでした。当時、日産のダットサンセダンなどの自動車ボディ製造を手がけていた当社子会社「住江製作所」が製造。量産には至りませんでしたが、リスクを怖れず、新しい分野にチャレンジしていく住江織物の企業精神のシンボルとして記憶されるエピソードです。
昭和新宮殿に手織り緞通納入
昭和新宮殿に手織り緞通納入
昭和新宮殿「豊明殿」は、皇居宮殿の殿舎の一つで、大饗宴が催されるときに使われます。宮殿のホールでは最大のスケールを誇る宴会場で、宮殿内で最も広い部屋とされ、一棟一室となっています。このホールに、当社が1968年(昭和43年)、日本画家・杉山寧氏原画の豪華で重厚な手織り緞通を納入しました。床面には、草を図案化した杉山寧デザインの支那式緞通約540畳(22×38m/836㎡)が敷きこまれています。広大な床面積のため、巾約7m、長さ約37mの緞通が三枚はぎ合わされました。製織は、延べ1万人を要する大掛かりなもので、6500万粒を一粒一粒結んでいき、完成までに9ヵ月をも費やした大作でした。
奈良工場建設
奈良工場建設
昭和40年代、日本の経済は高度成長から安定成長へと転じ、情報、レジャー産業とともに住宅産業が脚光を浴び始め、カーペット、カーテンの需要も生産に拍車がかかりました。新しい時代の要請に応えるためには、これまで一貫して主力工場の座にあった住吉工場から、より広大な土地と近代的設備が必要になりました。当時大きな社会的問題となってきた環境保全、公害規制の観点からも会社としては抜本的な対応にせまられ、当社は法隆寺の東南約3kmの地に、3万坪の土地を取得。1970年(昭和45年)に奈良工場建設に着手しました。翌1971年(昭和46年)、新生・奈良工場が完成。ここに当時として東洋最大のカーペット工場が船出しました。
国産初タイルカーペット
国産初タイルカーペット
1980年(昭和55年)、国内初のタイルカーペットの生産を奈良工場でスタート。一定のサイズのカーペットをタイル状に敷き詰めていくことでカラフルなモザイク模様が表現でき、さらに傷んだ部分の敷き替えが簡単にできる画期的な商品として注目を集めました。現在では、再生材料比率が最大81%、CO2削減率が61%(一般の同規格連染商品との比較値)に達する、世界でもトップクラスの水平循環型リサイクルタイルカーペット「ECOS®(エコス)」が主力商品になっています。
昭和20年代〜昭和60年代(沿革略年表)
- 1954(昭和29年)
- アメリカよりタフティングカーペット機を日本で初めて導入
- 1955(昭和30年)
- 国産軽自動車の草分け「フライング・フェザー」を子会社の住江製作所にて製作・販売
- 1956(昭和31年)
- 天皇・皇后両陛下、住吉工場行幸啓
- 1964(昭和39年)
- 0系新幹線の座席にモケットを納入
- 1968(昭和43年)
- 新宮殿(豊明殿)に手織緞通、丹後緞通を納入
- 1971(昭和46年)
- 奈良工場(現 住江テクノ株式会社 奈良工場)を新設し、住吉工場を廃止
- 1980(昭和55年)
- 国産初のタイルカーペット生産を奈良工場で開始
- 1985(昭和60年)
- 光建産業株式会社(現 ルノン株式会社)の株式を取得し子会社化
- 1987(昭和62年)
- 滋賀事業所を新設
第3幕世界へオンリーワンの商品を
ポスト冷戦時代を迎えた世界。
グローバルな視野で、独自のブランドづくりへ。
東西冷戦の象徴だったベルリンの壁が崩壊し、大きな一つのネットワークの中で政治も経済も動き始めた1990年代。SUMINOEは、地球環境への配慮と企業の発展の両立をめざし、新たな時代への歩みをスタートしました。
ペットボトルから糸を生み出す
ペットボトルから糸を生み出す
常にオンリーワンの商品を生み出すことを企業のポリシーとする当社では、自社一貫生産への取り組みを続けてきました。その一つが、昭和の末から開発に着手し、平成になって実現した「ペットボトル再利用の糸」の開発です。設備投資、人材投入等、すぐには採算ベースに乗らない大きな先行投資ですが、オリジナルなものづくりを求める企業マインドでこのプロジェクトを推進。使用済みペットボトルから再生したポリエステル長繊維「スミトロン®」を実現しました。
世界へ広がる自動車内装材ネットワーク
世界へ広がる自動車内装材ネットワーク
1994年(平成6年)、タイに自動車内装材の製造子会社を設立したのを皮切りに、アメリカ合衆国、中国、インドネシア、インド、メキシコにネットワークを拡げ、グローバルな企業活動を展開。現在では、自動車内装材事業の約半分が海外の売上高になっています。今後も、積極的に海外展開を推進し、世界最適供給体制を構築していきます。
海外展開(沿革略年表)
- 1994(平成6年)
- タイに T.C.H. Suminoe Co., Ltd.を合弁で設立
- 2003(平成15年)
- 米国にSuminoe Textile of America Corporationを設立
中国に蘇州住江織物有限公司を設立
中国に蘇州住江小出汽車用品有限公司を合弁で設立
インドネシアにPT. Sinar Suminoe Indonesiaを合弁で設立
- 2005(平成17年)
- 中国に住江互太(広州)汽車繊維製品有限公司を合弁で設立
- 2010(平成22年)
- 中国に住江織物商貿(上海)有限公司を設立
インドにSuminoe Teijin Techno Krishna India Pvt. Ltd.を合弁で設立
- 2013(平成25年)
- メキシコにSuminoe Textile de Mexico, S.A. de C.V.を設立
インドネシアにPT. Suminoe Surya Technoを設立
- 2015(平成27年)
- 米国Bondtex, Inc.を買収、子会社化
- 2018(平成30年)
- タイSuminoe Koide(Thailand)Co., Ltd.で事業開始
- 2019(令和元年)
- ベトナムにSuminoe Textile Vietnam Co., Ltd.を設立
24時間サイクル消臭
「トリプルフレッシュ®」
24時間サイクル消臭
「トリプルフレッシュ®」
1998年(平成10年)、シックハウス症候群を引き起こすホルムアルデヒドやたばこのニオイ、生ゴミ、汗などの生活臭を24時間消臭し続ける加工技術「トリプルフレッシュ®」を開発しました。現在では、カーペットやカーテン、壁紙といったインテリア商品だけでなく、自動車・鉄道車両のシート地、冷蔵庫や空気清浄機の消臭フィルターにも活用されています。
開発コンセプトは、『資源を未来へ。』
水平循環型リサイクルタイルカーペット「ECOS®」を開発
水平循環型リサイクルタイルカーペット「ECOS®」を開発
オフィスで使用され、古くなったタイルカーペットの多くが埋め立て処分される中、廃棄物の削減をめざし、資源の循環をかつてないレベルで実現したのが、2011年(平成23年)に発売した水平循環型リサイクルタイルカーペット「ECOS®」です。表面糸にペットボトルリサイクル長繊維「スミトロン®」を使用し、裏面のバッキング材に市場から回収した使用済みタイルカーペットのリサイクルパウダーを混合することで、国内最高水準の再生材料比率を達成。カーペット業界で初めて新基準のエコマークを取得しました。開発の基本理念である「資源を未来へ。」のキーワードのもとに結実した、当社ならではの商品です。
SUMINOE株式会社に商号を変更
SUMINOE株式会社に商号を変更
2024年12月、本格的な海外展開に向けた活動推進と、非繊維関連を含む各事業の収益力および競争力向上を目的として、「住江織物株式会社」から「SUMINOE株式会社」に商号を変更しました。
平成元年〜現在(沿革略年表)
- 1998(平成10年)
- 「トリプルフレッシュ®」消臭加工技術を開発
株式会社スミノエを設立(2024(令和6年)株式会社スミノエ インテリア プロダクツに商号変更)
京都美術工芸所を設立、京都工場より古来織物技術を伝承する
- 1999(平成11年)
- 住江物流株式会社を設立
- 2005(平成17年)
- カーペット生産工場である奈良工場を分社化し、住江奈良株式会社を設立
住商エアバッグ・システムズ株式会社を合弁で設立
- 2009(平成21年)
- 子会社 スミノエ テイジン テクノ株式会社を帝人株式会社(旧 帝人ファイバー株式会社)と合弁で設立
- 2011(平成23年)
- 水平循環型リサイクルタイルカーペット「ECOS®」を発売
- 2013(平成25年)
- 住江奈良株式会社と住江甲賀株式会社を統合し、住江テクノ株式会社を設立
会社創立100周年(創業130周年)
- 2020(令和2年)
- 株式会社シーピーオーの株式を取得し子会社化
- 2022(令和4年)
- 株式会社プレテリアテキスタイルの株式を取得し子会社化
関織物株式会社の株式を取得し子会社化
- 2024(令和6年)
- SUMINOE株式会社に商号を変更